ホトトギス

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」が徳川家康。

「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」が豊臣秀吉。

「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」が織田信長。


これは後世の人が
3人の有名武将のそれぞれの性格を
簡単に表現したものとしてあまりにも有名ですが

松浦静山が「甲子夜話」で記述されたとある文献もありますが
作者がど〜も不明らしいですね。


しかし
織田信長ファンの私としては
このホトトギスを読んで

はて…?と、首を傾げたくなる。
信長ってそんなに短気で暴君だったんかなぁ…と、思ったりする。

そもそも彼ってご存知の通り
“基本的には”勝つ戦いしか致しませんから

「こいつには
かなわないや…絶対無理っ!」という相手には
非常に気を使って書状を送り

今でいう…例えば
盆暮れ正月の付け届けはマメにおこない

「武田様、お元気ですか?
我々織田ファミリーもおかげさまで元気で〜す!
今年も武田様の様な立派な武将になれるように頑張ります♪
まぁ…無理かな?テヘヘ(笑」的な
年賀状や暑中見舞いを送るという様な
きめ細やかな対応をしておりますし

謀反(裏切り)をおこした家臣や武将にも
案外、寛大なんですよね。

謀反をおこしても
もう一度、考え直す様に説得したようですよ。

そのいい例として
浅井長政なんぞへは
「降伏すれば命を助けるし
別の領土も与える」と
何度も勧告しておりますからね。

清洲会議に出席した織田家重鎮の柴田勝家だって
かつては
「ごめんなさいっ!」って丸坊主にして謝って
許してもらったいきさつもあったりする。

ネットで時々目にする「非道」というイメージとは
全く異なると思うんですよね。

何と言っても
食うか食われるかの戦国時代ですから
場合によっては
非道とも思える決断もしなければいけなかったという時代背景も
考慮して判断しなければと思います。


ねね(豊臣秀吉の妻)と信長との
エピソードも大好きな逸話のひとつ。

これも有名なお話ですけれども
信長の元に訪れたねねが
自分の夫が側室(愛人)ばかり作って…と、
信長に愚痴をこぼしたらしい。

後に信長はねねに
以下の様な手紙を出している。

「そなたは以前にもまして綺麗になった。
そんな女房を持ちながら
あのハゲネズミ(豊臣秀吉の事)は、けしからんヤツだし
今後、そなたの様な女房と出会う事は出来ないのだから
(本妻として)どっしりと構え
気持ちを明るく持って、嫉妬心など持たぬように。
尚、秀吉には私からしっかり注意しておくから
安心しなさい。」という様な内容で

ねねにも読みやすい様に
ひらがなを使った手紙を送っているんですよね。

家臣の家族にも
細かい心配りをしている一面ですね。


歴史から学ぶ事は多々あり。

私も開業して10年が過ぎ
たった10年ではありますが思う事あり。

開業当時は
「(鳴いたけど)下手だから ボロカス言おう ホトトギス」でしたし。
反省しております。

「鳴かぬなら 私が鳴くよ♪ ホトトギス」という程、寛大になりたいですね。

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昭和大橋歯科医院 Dr.chicoの日記

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