新事実?!!

7月6日のビジネスジャーナルの
織田信長に関する記事を読んでいて
ちょっと気になる箇所を発見。

「信長は斎藤道三の娘、帰蝶(きちょう 、お濃、濃姫)と、
政略結婚しているが、”道三が死ぬと離別”している。」



うそぉぉぉん。



確かにそういった説もありますがね。

これって決定されるような新事実が発見されたのでしょうか?



道三が死んで離別説
病死説
本能寺で一緒に死んだ説(これは個人的には信じがたいですがね。)
70歳すぎまで長生きした説

いかんせん、記録がないのでわからないのですよね。

また記事では
「信長が一番愛したのは、帰蝶と離別する前から関係があった吉野で
小牧城に吉野を正室として迎えた。」

この記事を書いておられるのが
日本歴史宗教研究所の所長ですからね。

向学のために電話で問い合わせみようかなぁ…なんて
本気で考えております。

確かにいくつかの資料では
吉野の事を「御台」という正室の呼び方をしている記録もあるんですがね。

信長&吉野のラブラブ説は
武功夜話がネタ元なのかとも思うのですが
そもそもこの武功夜話が偽書だというのが通説になっていたりして。

しかし
「安土殿」という女性が信長の一周忌法要を営んだという資料や
織田信雄の家計簿の様な帳簿には
安土殿という記載が出てくる。

安土は信長の本拠地ですから
「安土殿」という名がつくという事は
これが帰蝶の可能性もあるわけでして…。


私の調べなきゃいけないリストには
昔から「帰蝶の行方は?」というのがございましたが
何しろ記録がなさすぎてお手上げ状態でございましたね。



個人的には長生きして欲しかったと思っているんです…。

うちのこれ↓の名前は

斎藤道三から頂戴しておりますのでね。

彼の娘の帰蝶には
信長の死後も幸せに暮らしてくれていたらいいなぁ…と。


なので今回の記事を読んで
”断定”されておられるのにはとても驚きまして

「気になって気になって夜も寝られない」と大さわぎをしております。

スタッフの新井ちゃんに
「一週間ですかね…飽きるまでに…」と、苦笑されて苦笑気味です。

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昭和大橋歯科医院 Dr.chicoの日記

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