昭和大橋歯科医院 Dr.chicoの日記
前橋の昭和大橋歯科院 院長Dr.チコの日々の想いを綴っています。
センス
私の両親は子供達に対して
食事のマナーは本当に厳しかった。
幼稚園に入った頃から
お箸の持ち方
ナイフフォークの使い方は当たり前の話で
その厳しさは細部にまでおよび
お刺身を食べる時は
ワサビを直接刺身にのせて
お醤油はほんの少し…香り付け程度にしろとか
絶対にさんまのハラワタは残すな…一番旨い所なんだからとか
魚の塩焼きにそえられている大根おろしには醤油はかけるな…もともと魚には塩がふってあるんだからとか
コロッケにかけるソースは少しにしろとか…数え上げればきりがない。
母親が京都出身だったので薄味を好む傾向にあったせいか
基本的に素材そのものの味を楽しむように
教えられたと思う。
だからイチゴには絶対に練乳をかけさせてもらえなかった。
(ただ冷蔵庫に常備されていた缶の練乳は、母が時々隠れてチューチュー吸っていたのを、私は知っていますけどね)
小さい頃は厳しく思えたルールだけれど
そのおかげで現在の私は食べ物の好き嫌いは無く
人様に不快な思いをさせるような食べ方はしないですむという点には
両親に対して感謝している。
しかし
小さい頃の食事の思い出は
あまりいいものがない。
料理は味もさることながら
「見て楽しむもの」…という事には
うちの両親はあまり関心がなかったようだ。
母の作る料理そのものの味は本当に美味しいものでした。
特に煮物や
出し巻き卵は絶品です。
しかし…
器に盛るセンスが無い…。ひどい…。
そもそも器に関心がない。
うちの主要な食器類の裏には「高崎信用金庫」と記載されていた。
小学生の頃
友達が遊びに来て
夕飯を食べていく事になった。
ご飯とお味噌汁が運ばれてきて
最後にメインがのったお皿をみて
顔から火が出る程恥ずかしかった。
それは
白い安っぽいプラスチックのお皿に
煮魚と三角に切られたスイカが
並んでいたのですよ。
平面。
スイカと魚の切り身が日向ぼっこをしているように
ならんでいる。
そして最悪なのが
スイカの汁と煮魚の煮汁が融合しちゃって
見るからに不味そうなんですね。
子供心に友達に対して気まずかったのを
今でも忘れない。
お弁当なんか…もう…最悪ですよ。
友達のお弁当はウインナーがタコだったり
彩りが華やかな卵焼きだったり
当時は珍しかったプチトマトが添えられていたり
とにかくキレイなのね。
私のはまず彩りが暗いんですよ。
必ず塩こんぶが入っていて
後は…記憶にない。
あれってトラウマなのか
具体的に何が入っていたか思い出せないんですよ。
ただ給食の時、恥ずかしかった思い出だけ。
妹の典子もそうだったらしい。
しかし母はとにかく忙しい人でしたから
文句を言おうものなら
「だったら自分で作りなさいっ!」と言われるに決まっている。
ですから
我々姉妹はお弁当は自分で作る様になった。
そのお陰かどうかわかりませんが
一応料理はふつうに出来るようになった。
小さい頃の恥ずかしい思い出があるから
夫に食事を出す時は
まず「目で楽しむ」ように
器や盛りつけにも気を使うようになった。
盛りつけのセンスの無い母のお陰で(お母さんごめんなさいっ!)
色々と勉強させてもらいました。
しかし
私もだんだん歳を重ねていくと
母は本当に忙しかったんだと思うのです。
嫁として妻として母として精一杯やっていたと思うのですよ。
仕事もしておりましたしね。
私も仕事をしておりますから
食事の支度が面倒な時なんか多々ある。
そんな時は
夫にコンビニや外食ですませてもらうようにしておりますが
母はそんな事はしませんでした。
今でも時々実家に帰り母の手料理を食べる事がある。
味は絶品ですが
相変わらず盛りつけは悪い。
しかしそのヘンテコな盛りつけのお料理も
長年つきあっていると愛着もわき
むしろ個性だな…なんて思えるようになり
この先、あと何年母の手料理を食べられるのかな…なんて思うと
文句が言えるはずがない。
有り難く頂戴しております。