昭和大橋歯科医院 Dr.chicoの日記
前橋の昭和大橋歯科院 院長Dr.チコの日々の想いを綴っています。
48時間 F
銀座のエステを後にした私は
新宿へ移動。
この日は二丁目の金子さんのお店へ
呑みにいく約束をしていたのよね。
ちょっと時間があったので伊勢丹内をブラブラして
新宿通り側に出て四谷方向へ向かって歩いておりました。
すると
やはり同じ方向に向かって歩いている
50代位のものすごく身体の大きな外国人の方二人組みが
話しかけてきた。
各国の映画を結構な数、観ている私は
喋れなくてもどこの国の言葉かは
ある程度は理解出来る自信がある私ですが
彼らの喋る言葉は始めて耳にする言語。
全く理解できない。
仕方がないのでつたない英語で
「What can I do for you?」(何かお役にたてますか?)と、言ってみたが
英語も通じない。
困ったなぁ…。
するとそのひとりの外国人の方が一枚の名刺を出した。
それをよく見ると
トルコ料理店の名刺。
裏に地図ものっている。
なるほどね。
トルコ人の方々なのね。
さすがに私もトルコの映画は観たことが無い。
要するにこのお店に行きたいのだけれど
道がわからないわけですね。
こういった場合は
日本語とジェスチャーでお伝えするしかない。
よく地図を見ると歌舞伎町の方。
方向的には全く逆の方向なのよね。
反対方向を指差し
「逆ですよ。あっちの方向」と反対方向を指差す。
この時、なぜか
「ぎゃくぅぅですぅよぉう。」と、
こちらも外国の方が喋る様な変な日本語になるから可笑しい。不思議。
「にぃこぉめぇのぉぉう(ニ個目の)」指を二本たて
「しぃんごぉおうをぉう(信号を)」五本指を閉じたり開いたり繰り返し
「みぃぎぃでぇぇす(右です)」前ならいをして両腕を右に向ける。
更に
地図に記入されている三越デパートを指差し
「こぉこぉがぁ〜(ここが)」
三越デパートの建物を指差し
「みぃつぅこぉ〜し〜でぱーとぅ〜でぇ〜す(三越デパートです)」
するとトルコ人二人はニッコリ笑い大きくうなずいた。
私は親指を上にむけ
「OK?!」と、確認しお互いそれぞれ逆の方向に向かって歩き出した。
しかし
数歩歩いて足を止めた私。
「トルコ人って本当に親日家なんだよね」という夫の言葉が頭をよぎった。
彼も実際あちらに旅行した時に
行く先々で現地の人に親切にしてもらい
それを実感したとのこと。
親日家である理由の一つとしてエルトゥールル号遭難事件(※)などの話を
聞かされた事を思い出し
「しょうがねぇなぁ…」と、呟き
きびすを返し彼らのもとに走り寄って
「わたしぃ〜(私)」自分を指差し
「いっしょぉぉぅにぃ〜(一緒に)」歌舞伎町方向を指差し
「いきまぁす(行きます)」と、彼らの手をひっぱった。
最初はキョトンとしていた彼らだが
理解したらしくにっこり微笑んで何かさかんに言っていたが
全く理解不能。多分「ありがとう」と言っていたのかな。
結局、そのトルコ料理店まで二人を案内する事になった。
道中、わずか10分足らずではあったが
「わたしぃ〜(私は)」自分を指差し
「チコ」
「てぃ〜こぉ〜?」と、彼ら。
「チ!コ!」と、私。
「チコ」と、彼ら。
私は満足そうに頷き、親指を上に挙げ
「イエィ〜イ」
彼らも「イエィ〜イ」
そしてお店に到着すると
店主の方が出てきて本当に丁重にお礼を述べてくださり
色々と事情を説明してくださった。
店主の方は数年前にトルコから来日して
ここにお店を構えたらしい。
そして私が案内した二人組みの方は
その店主の親戚の人で
今回初めて来日したとの事。
すると二人組みの話を店主の方が通訳してくださり
要約すると
「日本人はやっぱり親切ですね。本当に感謝しています。有難うございました。
神のご加護を…」と、言ってくださいました。
更に二人は
「是非お礼がしたいので
もしよろしければ、お食事をしていかれませんか?」と、誘ってくださったのですが
「約束があるのでごめんなさい。今度主人とお邪魔しますね。」と、言って
お店を後にしました。
帰り道…
この「やっぱり親切」という言葉がとても嬉しくて
ちょっと国際親善に貢献したかな…なんて思っちゃいました。
※ エルトゥールル号遭難事件
1887年、オスマントルコ帝国は、小松宮夫妻の訪土の返礼として、トルコ軍艦を日本に派遣してきました。その帰路、和歌山県串本市沖合いで座礁、機関部が爆発して沈没し、生存者67名、死者589名という大惨事となりました。
この時、地元串本の人達がトルコ人乗組員に対し、必死の救助活動と食料の炊き出しなどで篤いもてなしをしました。
この事はトルコ人に大きな感動を与え、この遭難救助については現在のトルコの小学校の教科書にも取り上げられているものです。